清い水には住めなかった話

twitterでもつぶやいたことなのですが、しばらく趣味のクラスタに行って活動をしていました。
ブログを立ち上げ、twitterも新しいアカウントを作り、趣味の人間関係を広げようとしていました。

人間の見本ばかりのクラスタ


この趣味のクラスタは(嫌味でなく)それはそれは素晴らしい方ばかりでした。

1人ひとり自分を磨くのに一生懸命でした。
他の人の方が優れているところがあればそれを素直に認めて褒め、「私にも教えて」「私も○○さんのようになりたい」と自分をさらに高めようとしていました。
悪口、陰口、クラスタの分裂など人間関係のいざこざもありません。
議論をすれば必ず良い方向にむかいます。
持っている技術もピカイチで、中には出版準備をされている方もいました。

どの方も完璧に見えました。

居心地が悪い


私ははじめそんな中で、自分もこの方たちと高め合おうと頑張っていました。
新しいアイディアに挑戦してみたり、他の方の真似をして「私にも教えて」「私も参加したい」と言いました。
クラスタの方は喜んで受け入れてくれました。

…が、次第に居心地の悪さを感じるようになります。

なんというか、あまりにみな優等生過ぎるのです。
人として醜い部分、欠けている部分が一向に見えてこない。
何かおかしいのです。

技術でも人間性でも、私が一番劣っているように感じました。
醜い部分がないとおかしいと思う感性自体がよくないのかと自分を疑いもしました。

だんだん趣味のクラスタのtwitterを見るのが不快になり、つぶやくのも閲覧するのも頻度が減りました。

躁うつクラスタの居心地の良さ


何のための趣味かわからなくなり、ブログはやめ、twitterのアカウントも削除しました。
もともと1人でも楽しもうと思えば楽しめる趣味だったので、自分ひとりの世界で完結することにしました。

そしてここ最近は躁うつクラスタでつぶやいています。
育児のことだったり他愛もないことばかりだったりしますが、つぶやいても眺めても、正直とっても居心地がいいです。

これは自分が一番劣っているように感じないから、ではありません。
また、躁うつクラスタの人が人間的に問題がある、と言っているのでもありません。

躁うつ病を患っている方々は周囲の人の悪意が原因で発病・再発したり、原因となった人を許せないでいたりするという経験をしています。
人間の醜い部分に触れてきた人たちです。
そこに人間らしさを感じるのです。

完璧な私でなくても受け入れてもらえる寛容さがあります。

趣味のクラスタの人たちのようによいのみ面を示さなくてもよいのです。
うつで何もできないで一日を過ごしたことをつぶやいても、励ましや共感の「いいね」がもらえます。
世間に対して文句を言ったって構いません。

他の方がつぶやいている様子を見ても同じです。
躁やうつの波の中、人間関係のいざこざの中で、もがいたり休んだりしながら生きている様子がツイートのひとつひとつから感じられて、なんだか温かいのです。

今躁うつクラスタにいる理由


寛解状態が続いている今、私が躁うつクラスタでツイートをしているのは、同じ病気を抱えている者同士傷をなめ合おうとか、病気の情報を得ようとかいうのが主ではありません。

寛容さと温かさをもった人たちと一緒に居たいからです。

実家のような安心感があり、私らしく居られます。

趣味のクラスタの人が悪かったわけではありませんし、その悪口を言うつもりもないのですが、
単に私には水が清すぎたのでしょう。

ちょっと濁っている川の方が魚は住みやすいそうなので、そんな感じです。

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